浅野内匠頭長矩の正室。広島県三次市生まれ。
父は備後国三次藩主(広島県三次市)浅野長治。母は浅野長重(浅野長矩の曽祖父)の娘。
生まれてすぐに縁組が進められ、天和3年4月9日正室に迎えられます。その時長治17歳・阿久里10歳でした。以後松の廊下の事件まで18年間の結婚生活でした。
元禄14年3月14日、夫長矩が吉良を江戸城内で傷つけ、切腹・領地没収となったため、16日には赤坂にある実家の三次浅野家下屋敷に引き取られます。
赤穂浪士四十七士が幕命により切腹したのちは、伊豆大島へ流された赤穂浪士の遺児たちの赦免運動に尽力し、三人の赦免を実現させました。
正徳4年 (1714) 三次浅野家下屋敷で死去。享年41。夫と同じ高輪泉岳寺に葬られました。 |